そろそろ大掃除の季節ですね。
別に大掃除の季節でなくてもいいんですが、
お掃除や片付けをしていると次のような事ありませんか?
- なんでこんなものを大事にしまってるんだろうか?
- なんで捨てなかったのだろうか?
- いつからあるんだろうか?
- そもそも何だこれは?
- etc…
このように挙げていくとキリが無くなるくらい無駄な物ってでてきませんか?
そして過去の自分に腹を立てるという一連の流れです。
あなたも少なくとも一度は経験したことがあるはず。
その当時はきっとこう考えたに違いありません。
そうです。
片付かないのは、この「何か」の仕業です。
- 片付けをしようとすると出てくる異常なまでの存在感「何か」。
- きっと、画期的で生産的な活躍の場を期待された「何か」。
- 多分、計り知れない潜在能力をスカウティングされた「何か」。
今回はお掃除しているのに片付かない魔法の言葉に着目して、
是非とも片付けを進めて行きましょう。
片付かない魔法の言葉
お掃除をしていると必ず、「要る」・「要らない」の究極の判断を求められますよね。
判断基準は人それぞれでしょうが、この判断の時に異常なまでの存在感を発揮するのが次の言葉です。
「何かに使えるかもしれない」
これが出るともう終わりです。片付きません。
「何かに使える」の「何か」の存在感
「何か」とは邦楽の歌詞でも頻繁に顔を出すくらい異常なまでの存在感です。
つまりですよ、人は本能的にその「何か」を求めてしまうんでしょうね。
「何か」という具体性は無いものの将来性や期待性の魅力に憑りつかれ、敢えて残すという手段を取ってしまう。
恐るべし「何か」

「何かに使える」の「何か」に出会えた事ある?
ところで、異常なまでの存在感の割に、あなたはこの「何か」に出会えた事ってあります?
残念ながら、筆者は出会えた記憶がありません。
出会えた方は是非体験談を教えていただきたいですね。
筆者の体験談
最近の筆者の体験談で恐縮ですが、片付けていると本当に使い道が分からないものが出てくる、出てくる。
大体、発砲スチロールの箱のふたが割れたものを机の下に保管すること自体、正気の沙汰とは思えません。
当時の自分はどう考えていたのか脳みそをほじくり倒したくなる事象です。
ここで一呼吸おいて、視点を変えてみましょうか。
こう考える事もできますね。
という、究極のセルフ嫌がらせです。
体験談からの学び
この時初めて気づくわけです。
「何か」とは幻想であったと。
そもそも、そんな都合よく使える機会があるわけがない。
いいですか?
「何か」に騙されずさっさと片付けてしまいましょう。
捨てるべき時は、今です!

しかし、今日も今日とて・・・
それを分かりながらなお、「何か」に期待してしまう自分がいるのも確かなのです。
結局は決断を先延ばしにしたいだけなのかもしれませんね。
「何か」という体のいい言い訳を用意して、未来の自分に対して取り繕っている。
そうか、自分は今、正当化を図っているのだな。
書いててそれが知れただけでも収穫だ。
この知識は「何か」の役に立つかもしれない。
片付けられる魔法の言葉
さて、そうも言ってられないので
筆者は次の作品を参考にして排除することにしました。
「残すか捨てるか悩む時は燃やせと、水沼殿のお達しだ」
出典:コクリコ坂から
もうね、悩んだ時点で要らないっす。
100%要らないっす。
そんな考え方を少しずつ身につけて行ったら片付けられますよ。
そもそも仕分けがめんどくさいからじゃね?
そもそも何故片付けられないのかを考える。
片付けの根本として、仕分けがめんどくさいからじゃねぇか?という理屈を考えた。
つまりここを解決すれば片付けやすくなるんじゃないか?
「仕分けがめんどくさいなら、プロに任せればいいじゃない」

どこぞの貴族の有名なセリフを借りるならこういう事だ。
そうだ、任せればいい。
金銭的に余裕があれば1つの選択肢としてどうぞ。
不用品、廃品、粗大ごみのおかたづけならエコノバ!
なんせ、楽。
まとめ
今回は「何かに使えるかもしれない」の「何か」の魔性な魅力についてまとめてみました。
蜃気楼のように不確かな存在ではある物の、不確実で約束されていないものだからこその魅力がそこにはあるんですね。
つまり、こういう事です。
- 宝くじみたいな期待を載せられるという事
- ハズレても「そういうもんだよ」っていう言い訳が上手くできる事
不確実なわりに実に合理的な言葉でしたね。
とにかく言いたいのは、
という事です。
確固たる自分をもって片付けを進めて行きましょうね。
以上、「何か」に使えるかもしれないネタでした。
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